小学校のとき、親に漫画雑誌の通販で買ってもらった110フィルムのおもちゃのようなカメラが写真を撮るようになった切っ掛けでした。
被写体は当時の家が線路まで10mというこの上ない好環境のため、模型雑誌で見ていた鉄道の車両に有無もなく決まりました。
最初のカメラは2−3回使ってカメラ屋にプリントに出したのですが、カメラの機嫌しだいで写ったり写らなかったり。
結局、オリンパスペン(二世代目)に買い換えてもらいました。
このとき、昭和41年の11月6日の日は、そのオリンパスペンを持って中学の同級生と国府津へD52を撮りに行ったのです。
機関区には許可がないと入れないと思い、ホームで撮っていたところ、写真のC11がやはり写真に写っているワムとヨを従え、バックで東京方より入線。
元々D52が目的のためこの貨物列車にはほとんどカメラを向けていませんでした。(国府津での写真は1枚もありません。)
運転室を覗きに行くと、機関士から、
「松田まで行けば、この機関車とD52もよく撮れるヨ。」と言われたのです。
我々は、D52を撮った後、小田原あたりで撮るつもりでいたため行けない旨を伝えると、「じゃあ車掌に頼んで乗せてってやるヨ。」と言うのです。
せっかくの取り計らいですから親切に甘え、写真のヨ(車掌車)に乗って、図々しくも松田まで運んでもらい、写真の入れ替えの最中、D52やキハなど撮らせてもらっていました。
帰りも乗ってきたヨで国府津まで送ってもらったのですが、松田を出る前に機関士から、 「国府津ではホームに止められないから、少し外れところで止まるから。」と言われ、本当にホームを通過したところで降ろしてもらいました。
のんびりとした当時のことが今でも懐かしく思い出されます。
(20.6.-1 新規作成 / 20.6.-7 修正)
この写真も、たしか上のC11と同じ同級生と撮りに行ったように記憶しています。
日付から、学年が1つ上がったばかりの最初の日曜日でした。
一緒に行った同級生とはクラスが分かれてしまったのですが、まだ進級したばかりで、周りに同じような趣味の人間がいなかったため、写真部員でもあった彼と一緒に行ったと思います。
写真のC50は、沼津に所属していた機関車で、三島、沼津、吉原の貨物の入れ換え用に使われていました。
末期はC58が後継機となり(沼津駅前のモニュメントはC58の動輪です。)、さらにはDE11がそのあとを受け継ぎました。
三島と吉原には転車台がなかったため、機関車の方向は一定で、回送時などは(東海道)本線上を定期の貨物列車にぶらさがって行き来していたように記憶しています。
(20.7.-4 新規作成 / 20.11.-4 修正)

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