
自動車運転免許証
今や必需品ともいえる国家資格で、あえて説明するまでもないと思います。
平成19年6月からは中型免許が創設され、一般用の第一種免許9車種、旅客営業用の第二種免許5車種、道路での練習、試験のための仮免許3車種の計14種類があり、一部の免許には運転出来る車種を限定したものもあります。
一般的に自動車運転免許と呼ばれるのは第一種のことで、第二種を表わす時は車種の下に第二種と付きます。
これは、以前に『第二種原付免許』(現在は、普通自動二輪の小型限定。)などが存在したためです。
以前は取得免許が数字の「1」により表示されましたが、現在は取得した免許の略称が表示されるようになりました。
この表示欄も中型免許の創設により、12種類だったものが14種類になって、新しく交付されるものはIC化されたものになっています。
自動車運転免許はそれぞれの車種が独立したものですが、取得した免許の中に含まれる下位の免許(取得した免許で運転の出来る車種の免許)を新たに取得することは出来ません。
<既得免許>
普通自動車(通称:普通免許)
大型自動車(通称:大型免許)
大型特殊自動車(通称:大型特殊免許)
大型自動車第二種免許(通称:大型第二種免許)
大型特殊自動車第二種免許(通称:大型特殊第二種免許)
牽引第二種免許(通称:けん引第二種免許)
普通自動車仮免許(通称:普通仮免許)
大型自動車仮免許(通称:大型仮免許)
ここから大型二種まではかなり古い話で、これから取ろうという場合の参考にはなりません。
奮戦記よりも、免許と車の思い出記としてご覧下さい。
普通自動車(通称:普通免許)
自動車運転免許の一番最初は今から30年以上前の高校卒業時に取った普通免許です。
学校の中で、1年の頃から目覚めた者は、原付、自動二輪と自然の成り行きコースをたどっていましたが、どういう訳か、私は二輪車の免許に興味が湧かず取得への気持ちがありませんでした。
(未だに二輪免許だけありません。まぁ、今は他にも少々取らない理由がありますが・・・・。)
取得の頃は今のように路上試験もなく、高速道路の教習もありませんでした。
(注、路上教習はありましたが卒業検定は自動車学校の場内試験でした。)
仮免まではほぼ規定どおりで行き、全体では4時間ぐらいオーバーだったと思います。
当時の教習車はセドリックで、今の教習車に比べるとかなり大きめの車でした。
(右写真のは通称『柿の種』。−テールランプの形からそう呼ばれていました。
自動車学校では1台だけ車庫にありました。写真の撮影は東京都内某所で平成18年2月。まだナンバーが付いています。
オーナーに許可をもらい撮影しました。)
車両番号30番代は古いモデルで(右の『柿の種』の次の手です。)ヒップが下がっているため縦列駐車などの時などは楽なのですが、車自体がボロのため運転はしずらく、40番代は日産とプリンスが一緒になりセドリックとグロリアが姉妹車になった頃の車で、ヒップアップのため左角がよく見えず一部は針金のサイドポールを立てている車もありました。
シフトは共にタクシーと共通のH型コラムシフト(Nから手前に引いてそのまま上げるとR。そのまま下げると@。Nから足元へ押し、上げるとA。そのまま下げてBというシフトパターン)。勿論AT限定なんてない頃です。
実地免除でも学科は試験場に受けに行くのは今と変わらないと思いますが、学科の試験方法が教習中は法令、構造、安全運転の3科目あり、それぞれが4者択一だったものが、実際に受けに行くときは100問出題で90点以上合格の○×式になったばかり(確か、受験日が4月3日頃で、制度が変わったばかりの月曜日だった、と記憶しています。つまりは、我々が新しくなって初めての受験者でした。)、そのため自動車学校にも詳しい資料がなく、指導員が手作りした模擬問題を1回やった程度でした。
免許を取って最初に日常的に乗ったのは、家業で2台目の車が必要。ということから、TOYOTAカローラバン(中古)。
年式は忘れましたが、型式はKE−26です。友人が乗用車ばかりの中で、4ナンバーの貨物車はかなり目立っていました。
この車で、友人と東北一周旅行に行ったのが唯一の思い出。といえば思い出です。
2台目は、このカローラバンの取替で、やっぱり家で買った新車のTOYOTAカリーナのバンでした。
このカリーナバンは、それまでセダンだけだったカリーナに初めて出来たバンで、塗装もメタリックになり、かなりゴージャスな4ナンバー車でした。
納入から暫くは新車の気分を味わっていましたが、あまり時間が経たないある時、自分自身の体を壊していまい、それから約3年間に渡り仕事が出来なくなってしまいました。
そんな中、家の事情もあって車自体は手放さず、何とか仕事復帰出来た時までこの車がありましたが、自分が選んで買った車の割には結び付きが薄いというか、関係が希薄だったように思います。
仕事復帰。と言っても別の仕事での再スタートになり、車でないと通勤が出来ないため、家からこのカリーナバンを借りる恰好で暫くは通っていました。
最初のうちは良かったのですが、途中から営業関連となって、お客の所へ貨物車で行くわけにも行かず、ついに、自分の専用車を買うことになり、営業の途中によく行くようになった中古車屋からマルーンのスプリンタークーぺを分割で購入しました。
(この中古車屋とはこの後、現在に至るまで数十年の付き合いになります。)
このマルーンのクーペは結構気に入っていたのですが、年数経つうちに段々みすぼらしいものとなり、当時、板金塗装をやっていなかった中古車屋の練習台として全面塗装(塗色の変更)をかなりの割引価格で行うことで話がつき、マルーンからブルー系のホワイトに車体色が変わりました。
それから暫くホワイトのスプリンターでしたが、2ドアのクーペでは如何にせん乗り降りが不便なため、結婚を機に多少の見栄もあってマークUのセダンに変えました。
(かの中古車屋のですから、当然中古です。この後もついに今日に至るまで1台も新車はありません。)
このマークUでは、国鉄の青函連絡船を使い、遠く北海道の網走まで行っています。
これまでずっといわゆるボンネットのある車で来たのですが、自分自身としては「かなり前からキャブオーバー車に乗りたい。」という希望がありました。
それが何故なのかは未だに判らないでいますが、このマークUの後にはタウンエースに変わっています。
で、今もタウンエースに乗っているのですが、実は今のは2台目です。
仕事の業績が段々と落ち込む中、車に掛かる経費もバカにならなくなり、ついには初代のタウンエースが車検を迎えたときに、その経費の捻出が出来なくなってしまいました。
中古車屋も事情を判ってくれ、とりあえずはタウンエースを廃車し、一時しのぎに(「車がなくては仕事が出来ないから。」と)軽の中古を手配してくれたのです。
この軽たるや、車検代の中に納まるくらいのものですから、とにかく程度は知れたものでした。
信号で止ればエンジンがストップ。冗談で、「この車は、はやりのアイドリングストップだ!」なんて言ってましたが、内心は情けない気持ちで一杯でした。
そして、このボロ車の車検が近付いたころ、いつもの中古車屋から「タウンエースの出物があるよ!」の電話。
一にも二にもなく話しに乗りました。
実車を見れば、何と初代と同年式。色も同じで見た目も殆ど変わりません。
今、知らない人間が見ると「まだ乗っているの?物持ちがイイね。」なんて言われます。
(本当は、初代は春発売ハイルーフのAT車。2台目は秋発売の標準ルーフでMT車。)
どん底のとき、(ガソリンが買えなくて)動かせずにいつも車庫に置いてあったのがこのタウンエースで良かったと思っています。
初代のタウンエースがなくなり、駐車場が空いていた時の感じは本当に惨めでしたから・・・・。
このタウンエースも今年の秋、車検の為いよいよ引退させることにしました。
2番目の免許はあるところからマイクロバスの運転を頼まれ、近くの自動車学校に取りに行った大型免許です。
この大型免許を取ったのは平成10年。すでに40代半ばでした。勿論必要に迫られて、という理由はありますが、実は30代までは取りたくても取れなかったのです。
大型免許や二種免許の適性検査中の視力検査は普通免許等の0.7以上に対して0.8以上となり、加えて深視力も検査の対象になります。
私の場合、中学校の頃から近視が進み、普通免許を取る頃にはメガネを掛けて0.7がギリギリでした。それが30代から40代にかけて視力が1.2位まで回復してきたのです。(一般的には、「老眼」が出てきたといいます。)
当時資金的にも少々厳しいものがあったため、当初は試験場での取得を考えたのですが、取得を急いでいたため自動車学校に行くことにしました。
家から近い2つの学校に的に絞り、まずは母親(故人)が普通免許を取りに行ったT自動車学校へ行きましたが、この時は定員が一杯で、早くても3か月位先になると言われ間に合わないため断念しました。
もう一つの候補のK自動車学校へ行ったところ、こちらの方はOKだったため入校手続きをしました。
大型の教習は学科は無く技能講習だけです。車の動かし方は分かっていますので、車両感覚をつかむだけの教習です。
当然、自動車学校では規定の時間が決められており、最低でもこの時間を消化しなくては卒業検定まで行かれません。
また、路上教習もあります(卒業検定は校内試験でした。)ので、仮免許も必要です。
教習も段々と回数を重ねると、指導員も教えることがほとんど無くなり、そのため、S字のバックなども教習の中に入れてありました(試験には出ません)。が、段段と時間消化の様相を呈してきます。
当時は現在に比べ古いタイプの指導員も何人かいて、教習料をドブに捨てているような、これが教習かと思えるような場面も多々ありましたが、規定時間で終わり卒業検定も難なくパスして試験場へ行き、2枚目のゴールド免許を手にしました。
この大型免許を取りに行くときは、自動車学校へ上の初代タウンエースで通っています。
免許が取れてからは、仕事で三菱のローザ。TOYOTAのコースターに暫く乗っていました。
3番目となる運転免許は大型第二種免許(大型二種)です。
大型免許を手にしてからすぐ上記大型の時にくすぶっていた教習料のムダ感と、「教習の感覚を忘れないうちに試験場へ行けば比較的手間を掛けずに大型二種も取れるのではないか?」という非常に安易な考えから自動車学校で大型免許を取った人間は割とこういうパターンで大型二種に挑戦する、ということが多いようです。
実際にはけん引二種の方が難易度が高いように思いますが、一応、運転免許の中では最高峰と呼ばれています。
以前の大型二種免許は大型免許を取得し、3年くらいの乗務経験がないと取れないという時期がありました。
私が取ったころは、普通免許や大型特殊の取得後3年を経過していれば取れるようになっていました。
(注、現在は路上検定があるため、大型免許又は、同仮免許がなければなりません。中型免許では車両の大きさが異なる為、大型の路上検定は受けられません。)
私の場合も大型免許取得後すぐに受験申請をしましたので、形としては普通免許取得から3年以上の(当時の)規定に相当するものでした。
この免許試験の大きな特徴は、試験車両が大型免許のトラックに対してバスになることです。また、他に二種免許が無ければ学科試験も受験しなければなりません。
当時、受験開始の頃は自動車学校での取得は出張試験で可能でしたが、途中から出張試験が無くなり、自動車学校では単に教習だけという形になりました。(現在は自動車学校で、いわゆる実地免除で取れます。)
(注、現在では更に取得時講習が義務化され、普通二種がない場合、試験場で取っても何処かの自動車学校でこの講習を受けない限りは免許証の交付がされません。)
私の場合は大型免許取得直後ということと、「すぐにいる免許ではない。」ということから自動車学校に通うのは絶望的なため学科、技能とも試験場で、ということにしました。
静岡県に運転免許の試験場は3箇所あります。学科はどこでも受けられるのですが、大型二種の技能検定は静岡(市)の中部の試験場(運転免許センター)でのみ実施しています。そのため、必ず静岡まで行かなければなりません。
(余談ですが、他の都道府県から見ると私の住んでいる所は静岡県ですので、よく「静岡の・・・・」と言われます。我々の感覚では静岡というのは、あくまでも静岡市あるいは、静岡駅の事であり、何となく違和感があります。静岡駅と同じ位東側に行きますと、横浜駅ぐらいまで行ってしまいます。)
一応、当初の計画では、数回技能の練習に行ったあと、学科試験を受験し、技能検定に挑戦することにしました。
その技能の練習ですが、近隣の自動車学校では、練習だけさせてくれる所はまったく無く、仕事の関係で行きやすい横浜のTo自動車学校に決め、全体の様子を見ながら入校の申し込みをしてきました。
最終的にはここの自動車学校には、数回どころか十数回通いました。
学科の試験は、現在とその内容が異なるためあまり参考にはならないと思います。
普通免許の学科試験から約30年ぶりで東部(沼津)の試験場で最初に受けたものは合格に1問足りず、あえなく不合格でした。
2回目は、技能の練習も数回行ったことから、午前中の学科試験に合格すれば、午後の実技試験を何も手続きせずに受けられる中部の試験場へ行きました。
学科試験は前回の不合格でコツがつかめたのか、合格でした。
この日の午後、いよいよ技能試験、試験場デビューです。
技能試験第1回目。
数回の練習を経て、学科試験の合格した日の午後、初めて試験場のバスの運転台に乗りました。この頃は現在の様に路上検定は無く、場内だけの試験です。
練習の時のバスより少し小ぶりのバスですが、次番者として後ろの座席に乗っている時から足が震えているのが自分でも分かります。
この時の試験官は、Mという試験官でした。
強面のいかにも古いタイプの試験官らしい試験官でした。(めぐり合わせか、後のけん引二種の時も最初に乗ったのはこの試験官でした。後に、この顔は「鬼瓦顔」と言うようになります。)
自分の番になり、ミラーの調整をし、出発ですが、足がこの時も震えています。さらに、シートベルトの装着を忘れていて、指摘されたことにより、まったく試験にならなかったことだけ覚えています。
その後、何と十数回通うことになるのですが、この辺はあまりイイ思い出はありませんし、特に参考になる点もありませんので割愛します。
ただ、取得までのエピソードで、
この頃、あるバスのボランティアガイドをしていたとき、
たまたま、乗ったバスの会社の指導運転手がドライバーだったことが何回かあります。
この運転手に、大型二種に挑戦中である旨を伝えたところ、
「うちの車庫へ来れば訓練生と一緒に練習させてやるよ!」と言ってくれました。
コッチがお客の側でしたから、多分社交辞令で言ったのでしょうけれど、「それじゃあ、お願いします。」と図々しくも予定の日にちまで約束してしまったのです。
そして、その約束した日にこの会社の車庫へ行き、本当に訓練生に混じって練習をしてしまったのです。
訓練車は実際に業務に使っている11mの貸切車でした。
時間的には10分位でしたが、実際に後輪をミラーで確認しながら車庫内での右折左折を繰り返していました。(後ろには訓練生が4-5人乗ってました。)
指導運転手から、「ハンドルを切るタイミングは車によって多少の差があり、少し走ってみて自分で感覚を覚えるしかない。[危険回避]の基本は先ず止めること。」と教わりました。
今でもバスの運転台へ座って、その大きさをあまリ意識しなくていられるのはこのときの感覚が大きく作用していると思っています。
この後、晴れて[大型二種]免許が取れたとき、駅からの帰り道でこの会社の訓練車に出合い、一番前の客席にこの指導運転手が乗っていました。
窓越しに免許を取ったのをジェスチャーで示したところ、満面笑みを浮かべ「良かったナッ・・・・。」と言っているように思えました。
以下、書き掛けです。