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  伊豆山の地名考 


伊豆山神社 fbox12

私の生まれた熱海市の伊豆山(”いずさん”と読みます。”いずやま”ではありません。)。
平安時代に旗揚げ前の源頼朝がいたとか、谷崎潤一郎の別荘があったとか。後者はともかく、前者のことは誰か見ていたのはいるのか?、と言いたくもなるのですが、日本の歴史の中ではそういうことになっています。
実は、この子供頃から慣れ親しんだ伊豆山が昔、今で言う関東地方に相当な権力を持った場所だったということは、これまでの歴史研究等でかなり明らかになってきています。
その様な中、一番身近な地名という部分から私なりに調べる(知り合いに確認して回る)ことを始めました。
調べた時の個々のエピソードは別として、辞典風に並べてみたのが以下です。話してくれた人、聞いた私に思い違い、聞き違いもあるかと思います。
お気づきの点等がありましたらfbox12(落ちオヤ) 伝言板へお寄せ下さい。
また、地名から具体的な場所の地図へのリンクも始めました。(Mapionマークの箇所です。リンクフリーのMapion のホームページマピオンを使わせてもらっています。)


秋戸郷、阿岐戸郷 あきとごう
 鎌倉幕府の公式文書東鏡(吾妻鏡)に出てくる場所で、書かれた期間が長期だったため、二つの書き方で出てきます。
 ところが、現在この名称が残っておらず、歴史上で有名な書物に出てくる割には知名度が低いため研究者の中でも複数の意見があります。
 1.熱海市が建てた「北条政子ゆかりの地秋戸郷」の柱の少し熱海駅寄りの海岸付近にあった、という説。
  (永井路子氏の北条政子はこの説をとっていると思います。)
 2.もう少し伊豆山港(小波戸港)寄りだ、という説。
 3.実は別の場所のことだが、何らかの理由で(何かを隠すため)ありもしない名前をつけた。という説。等々。

赤谷 あけんたに
 現在の般若院の上、斎藤別当実盛の墓から山伝いに伊豆山神社に至る細い道の一帯で、寺山と呼ばれているところの一部の通称です。
 源氏の世になり、伊豆山神社(走湯山)の周囲にあった平家方に関係するものは西側に移され、西側は鎮魂地となったと思われます。
 この名称も赤が平家を想像させるところから、遠回しに鎮魂地のことをいっている様に思います。

足川、芦川、葦川 あしかわ
 現在の海光町あたりで、バス停(足川)や寮の名称(芦川)に残っています。
 昔は、葦がうっそうと茂り、人も通らぬところだった、とか、秋戸郷の入口だった、という説もあります。

伊豆山 いずさん
 現在、大字で使われている地名で、通称名(小字)を付けて書かれますが、住所の表示等に小字はなく、すぐに番地が続きます。(熱海市伊豆山○○番地)
 逆に市名の熱海は大字名もあり、熱海市熱海という地名も(住居表示でだいぶ少なくなりましたが、)存在しています。
 古くは伊豆山の中に熱海(阿多美)があったような形で、現在の伊豆山の地域で熱海という場合は熱海市の中心部のことを言います。

  1番地Mapion
  地図を開いてみると分かりますが、意外なことに伊豆山の地番は伊豆東海バス大久保バス停のあたりから始まっています。

稲村 いなむら

大久保 おおくぼ

大黒崎 おおくろざき、だいこくざき

大洞台 おおぼらだい

奥鳴沢 おくなるさわ

折越 おっこし、おりこし

海光町 かいこうちょう
 お役所がつけた足川の現在の町名です。
 足も川も常用漢字ですので、別に足川町で良いと思いますが、単に漢字を組み合わせたようなつまらない町名が市内にまた増えました。

上野地 かみのち
 伊豆山神社がある場所です。本来は「神の地」でしょうが、あえて「神」を「上」としているのに何か意図的なものを感じます。
 熱海(旧市街)には「上の山」があり、これは天神山の事です。

喜志 きし

岸谷 きだに、きしだに
 現在も小字、バス停、町内会等に残る名称です。
 私は「きだに」の音。あるいは、西谷(にしだに)が訛ったものという説に注目しています。
 横浜にも読みは違いますが、岸谷、西谷(相鉄線に駅があります。)があり、何らかの関連があるのかも知れません。

倉沢 くらさわ

下馬、下馬郷、下馬峠 げば、げばごう、げばとうげ
 伊豆東海バス伊豆山神社線の前山田バス停あたりのことです。
 ここの場所より伊豆山神社の神域に入り、馬に乗ってきたものは全てここで下馬した、といわれています。
 私は、この名称について、地名ではなく地図(絵図面)に書かれた、注意書きの様なものの一つだと考えています。

古美道、込道、込堂 こみどう
 般若院から寺山にかけた一帯の名称です。
 前者の意味は、古くて美しい道が西に続いている。すなわち、平家を賛美する、あるいは偲ぶ名称と思われます。

坂西 さかにし
 現在も小字として行政関係で使われています。一般的には岸谷といわれている場所の一部です。
 坂とは、伊豆山神社の階段(権現坂)のことで、その西側の意味と思われます。
 また、現在「坂西」という屋号があります。

坂東 さかひがし
 坂西と対を成す地名で、やはり行政関係で使われています。(実際には、仲道坂東、浜坂東)
 この地名、もしかしたら、今回調べた中で一番の発見かも知れません。
 坂東と書いて読み方を変えると「ばんどう」と読めませんか?
 「坂東(ばんどう)、伊豆山坂東(さかひがし)説」、伊豆山神社での勉強会で、私が提起したものです。

 過去の文献等では、
 「坂東(ばんどう)」について、碓井峠、足柄峠、一部には、箱根権現から東側であるという記述が一般的です。
 この説は、ほぼ間違いではないと思います。が、仮に箱根権現を含めたとしても、そこから海側の境はどこになるのか、疑問が浮かんできます。
 資料的に裏付けがない(そもそも、「坂東(ばんどう)」の名称の起源についても裏付けがありません。)ため断定は出来ませんが、強ち間違えではないと思っています。

敷地 しきじ

猪洞 ししぼら

宿の平 しゅくのたいら
 伊豆山神社のバス停上の駐車場のあたりの呼び名です。
 宿坊がいくつもあった場所とか、神社の階段の途中の宿坊は傾斜地にありましたが、ここだけ平らな場所にあったからともいわれています。
 伊豆山神社前バス停近くの某家から江戸時代の宿帳らしき書物が発見されました。、

大名ヶ丘 だいみょうがおか

田原 たわら
 熱海駅の周りの地名で、現在は町内会の名称に田原町、田原本町。町名に田原本町があります。
 桃山(旧、田原)、東田原、田原、本町で通称四田原と呼ばれたこともあります。

寺山 てらやま
 伊豆山神社の西側。般若院から伊豆山神社に至る山側のことで現在も小字として残っています。
 この西側は平家方に関係したものを集め鎮魂地とされたと私は解釈していますが、
 そのための施設(すなわち寺)がある、あるいは、赤谷の「赤」が平家を連想させることからこの名称にしたと思っています。

中尾 なかお

仲道 なかみち

仲道坂東 なかみちさかひがし

七尾原 ななおはら

七尾 なのう、ななお

鳴沢 なるさわ

西足川 にしあしかわ

西足川的場 にしあしかわまとば

西谷 にしだに
 東谷と対となる名称で、現在の岸谷のあたりのことらしいのですが、はっきりとはしていません。
 この名称が変化して岸谷(きしだに)になったという説もあります。音としては「きだに」の方が一般的です。
 東谷が残っているのに西谷が残っていないのは、赤谷と同じような理由からと思います。
 全国的に見ても西谷という地名は、平家に関連したところが多く、福井県、鳥取県などは平家の落人が住んでいたところです。

鉢アラク はちあらく
 市立熱海中学校の東側(今の場所へ移転する前、中学校があった場所)の地名です。
 いわれについては調査中です。

八丁畑 はっちょうばた

 はま

浜坂東 はまさかひがし

東足川 ひがしあしかわ

東谷 ひがしだに
 現在も小字として残っています。その名の通り、伊豆山神社の東側の谷のことで、天台宗の寺が昔あったといわれています。

東田原 ひがしたわら
 現在の春日町。町内会の名称に残っています。
 熱海駅の海側東側の地域です。

引地 ひきぢ、ひきち

別所 べっしょ

堀坂 ほっさか、ほりさか

前鳴沢 まえなるさわ

前山田 まえやまだ

的場 まとば

鞠場 まりば

水立 みずたち、みずたて

美耳尾、耳尾 みみょう

向山 むかいやま

桃山 ももやま
 桃山町の町名で現在もあります。JR熱海駅のすぐ裏側で、古くは田原といわれ、伊豆山神社の参道の入口です。
 画家の横山大観が名づけたといわれています。

桃山台 ももやまだい

本ページについては、当方(fbox12)が著作権を主張します。
研究等の参考にしていただいて構いませんが、必ずホームページ「fbox12」の「伊豆山の地名考」より引用した旨を明記願います。

(以上、17.10.19 初稿 / 20.3.28 修正)

熱海散歩